青い気球

青い気球

だらだらつらつら。

ブログを始めるに至った経緯②

 こんにちは、なばすけです。

 この記事は続き物ですので、時間がありましたら、下記リンクよりお読み頂けると分かりやすいと思います。

 時間がない方向けに前回のお話をざっくり説明すると、

・元々休みがちだったのが、1年ほど前、インフル罹患とその直後の学級閉鎖をきっかけに不登校になった

・理由を探したが分からなかった

・むしろ自責の念が浮かんでしんどかっただけなので、もっと早いうちに今の自分を受け入れてあげたかったなあ

というような内容です。

 今回は、家族(主に父親)との関係、部活動についてのお話になります。

nabasket.hateblo.jp

なんで学校に行けないの

 自分で言うのもどうかと思いますが、私はどちらかといえば優等生の分類に入る生徒でした。毎学期委員を任されている真面目な子、責任感が強い子、それが友人や先生方からの評価でした。過去形なのが辛いですね。

  両親もそれは知っていましたから、私が学校に行けなくなってひどく取り乱しました。他人事のような書き方ですが、あの頃は何もかもが真っ暗に見えていて、今は考えられないくらいネガティブだったので、本当に自分の記憶なのかよく分からないのです。

 

 母親とは毎日のように話し合い諭されて怒られて、何度かは泣かれてしまいました。父親は普段あまり何も言いませんでしたが、機嫌が悪いときにお酒が入るとその分を一気に吐き出すかのごとく怒鳴られて嫌味を言われました。

 母親は時々ヒステリックになるものの、人格否定まではしませんでした。しかし父親はかなり感情的に「怒る」人です。良いご身分だな、だとか、幸せだろう、だとか、半ば当てつけのように言われたことがあり、今もまだ強く覚えています。

 言い返せない部分もあるゆえに非常に悔しかったですし、実際に部屋で過呼吸になるまで泣きました。一時は本気で憎く感じて、父親に対してそんな感情を持ってしまう自分までも憎かったです。

 その後しばらくは、母親が泣くのも父親が怒鳴るのも全部私が学校に行っていないからなんだと自責し、不甲斐なさに情けなくなり泣く日々が続きました。

 

 ここまで関係が悪くなった父親とどうやって和解したかというと、完全に日にち薬です。もう顔すら合わせたくないと思っても、彼は在宅で仕事をしているのでそうはいきません。ずっと過ごす家の中で気を張るのがしんどくなったので、表面上は数週間でどうにか修復しました。人を嫌いになることって意外とエネルギーを使うんですよね…。

 表面上というのは、この1件で親に抱いていた幻想が消え、人間なんだなあと実感したからです。人格者であることを期待するのはやめました。生意気ながら、私自身は人格者のみが親になるべきだと考えているのですが、ややこしくなるためまたの機会に。

 

 ただ、悪いことだけではなかったと思います。親が私の気持ちを分かってくれない、と悲しくなることも少なくありませんでしたが、ふと、私は親のことを分かっているのか?と思ったのです。考えてみれば、好きなアーティストも、芸能人も知らなかった。

 流石に直接訊くことは気恥ずかしくてできなかったものの、母親とは時々2人で買い物やカラオケに行ったりするようになりました。父親とは……ニュースでやっている政治問題について話すようになりました笑

 向こうがどう考えているかは分からないのですが、私としては良くも悪くも儒教的な上下関係が薄くなったような気がしています。

温かかった部活

 私が普通に学校に行けていた間の楽しい思い出は、半分以上を部活動のことが占めています。今のところ、中学時代唯一の青春っぽい経験です。恋愛なんてなかったんだ……。

 優しくて尊敬できる先輩方、気の合う同級生に恵まれ、元気で利発な後輩がいて、顧問の先生もそれなりに可愛がって下さいました。拘束時間は確かに長かったですが(部員以外からすると軍隊のように見えることもあったようです)、同じものを好きになったメンバーで一緒に高みを目指したことは忘れがたい経験です。

 同級生が引退した後、顧問の先生とお話する機会がありました。聞けば、3年生になってからほとんど参加できていなかったにも関わらず、私を最後まで部員の1人に数えてくれていたそうで、本当に涙が出る思いがします。

 部活に関するエピソードは色々あって、書き出すとキリがありません。そして身内のことなので、上手にぼかさないと1発でバレます笑

 そのため、書きたいことは沢山あるのですが、機会があったらということにさせてください。

 

 大分長くなってしまいました。次でやっと自己紹介の記事は最後になると思われます。次回の内容は、私が現在中学3年生ということで受験のお話になります。

 この記事が難産だったので、期間が少し空くかもしれませんがご容赦ください。ではまた、遠くないうちに。