青い気球

青い気球

だらだらつらつら。

ブログを始めるに至った経緯①

 昨晩開設したこのブログですが、正直あの記事では私がどんな人間で、どんな記事を書いていきたいのかよく分からないのではないでしょうか笑

 せっかくきちんと始めたのですから、自己紹介もきちんとしておこうと思います。

 大した経歴はないですが、身バレを防ぎたいため大筋が変わらない程度にフェイクを交えつつ書いていきます。話を盛ったりはせず、極力そのままを表しますのでご安心(というと語弊があるかもしれませんが)ください。

不登校、まさか自分がなるなんて

 私は現状教室に通えていない、いわゆる不登校の中学3年生です。

 今から丁度1年と少しほど前に部活動の朝練を休みがちになり、次第に学校を腹痛や頭痛で休むことが増えました。仮病ではありません。休んだら休んだで学校に行けなかった自分を強く意識してしまい、症状は酷くなる一方です。それでもほとんどの日は教室で勉強したり部活動をしていたのですが、切っ掛けはインフルエンザに罹ったことでした。

 

 インフルエンザに罹ると出席停止となり、1週間程度学校に通うことができません。五月雨登校の状態だった私は内心嬉しさ半分、勉強の進度に対する不安半分で過ごしました。長かったような気もしますし、一瞬で終わってしまったような気もします。

 その期間が終わると、今度はタイミング悪くクラス自体が学級閉鎖になってしまったんですね。罪悪感を持ちつつも、色々な方面からのプレッシャーから解放され休んだ2週間ほどはとても気が楽でした。

 

 何をしていたのかというと、1日中ずーーーっと寝ていました。それはもう長時間寝ていました。それまでの私はまさしく部活動漬けで、平日は朝練・放課後練、土日は5時間程度の練習があり毎日くたくたでしたから、その揺り戻しでしょうか。

 加えて「私は病気で休んでいるのだから、楽しいことをしてはいけない」という強迫観念に近い気持ちもあり、快復しても漫画を読んだりゲームをしたりしませんでしたし、かといって勉強するような気力もなかったのです。

 

 つまるところ、冬休み気分がまだ抜けきらないまま、それと同じくらいの期間を正当な口実の上で休むことができてしまったのでした。

 しかし大抵の人なら、学級閉鎖の期間が終われば嫌々でも通常の学校生活に戻ると思います。私にはそれが出来なかった。

 理由は誰にも分からなかった

 ここがこのお話のミソで、インフルエンザに罹ったことは「切っ掛け」なんですね。普通なら戻れたはずなのです。それが戻れなかったのには、私の性格もあるでしょうが、学校・部活動に行くことがしんどい、怖いと感じる「理由」の積み重ねがあったはずです。

 早く解決しようと何が理由なのか必死に考えましたが、当時はひどく憔悴しており全く分かりませんでしたし、自分で自分を責める考えばかり浮かんで苦しむ始末でした。今でこそぼんやりとは分かってきたような気もしますが、1月現在教室復帰できていない事実を見るに、悪い言い方をすればただの空回りだったのかなあと。

 何か明確な理由があればまだ対処のしようもあったのでしょうが、そうではなかった。思うに理由と言い訳って紙一重で、不登校になった自分の尊厳を守るために、正当化するために必死になっていたんでしょう。結果として沢山の時間を無駄にしましたし、苦しんだだけで、某漫画の言葉を借りるなら「何の成果も!得られませんでした!!」という訳です。

自責、自省、自戒、自愛

 世間的に見れば確かに、不登校というのはあまり良いイメージを持たれるものではないと思います。ましてや自分がそうなったなんて、当初は非常に受け入れがたかったですし、今もまだ完全には受け入れられていません。しかし、自分を正当化しようとして苦しんでいたのでは本末転倒です。

 向上心があることと今の自分が嫌いなこと、また、向上心がないことと今の自分を愛してあげられることは、似ているようで全く別物です。一朝一夕で変わったのではありませんが、自分の好きなところも見えるようになってからは視野が少し広がった気がしています。

 

 すみません、記事が大分長くなりそうな予感がしたため一旦区切ります。夜も更けてきましたので、もう寝ないといけません。

 …友人たちはきっと今も受験勉強しているのでしょう、こんな記事を書いていながらまた劣等感が疼きます……。

 次回の内容は家族との関係、部活動のお話になると思います。ではまた、遠くない日に。